Red Hat Summit 2007――最終日:授賞式とMoglen

 5月11日、サンディエゴで開催されていた第3回Red Hat Summitが幕を閉じた。この日に予定されていた日程は半日。掉尾を飾ったのは第1回Innovation Awardsの発表式だったが、私はEben Moglenに独占インタビューをしていたため会場には行けなかった。その代わり、世界を変えるための秘法を知ることができた。

 Innovation Awardsは、Red Hatの顧客を対象に、6つの分野――Red Hat/JBoss Deployment、Service-Oriented Architecture Implementation、Increased ROI、Ecosystem、Emerging and Leading Edge Technologies、Innovation in Government――ごとに選ばれた一団体に贈られる。第1回の受賞者は、それぞれ、DST Health SolutionsWarner Music GroupProQuest CSAMcKesson Provider TechnologiesComcast CorporationHill Air Force Baseだった。

 Moglen教授は、今会期中2回目となるGPLv3の現状翻訳記事)に関する講演が終了すると、独占インタビューの場に姿を現した。話題になったのは、Free Software Foundationからの別離、Microsoftの法務担当者Brad Smithとの個人的な経緯、Novellとの特許契約を巡るMicrosoftとの交渉、フリーソフトウェアとの関係など。そして、学生やプログラマー、さらにはメディアの周辺にいるリポーターには世界を変える方法について学んでほしいと語った。

 最近発表されたFree Software Foundation理事会からの別離について、Moglenは、FSF創設者Richard Stallmanとの確執のためでもなければ、次期General Public Licenseを巡るいかなる対立からでもないことを明確にした。「Free Software Foundationの理事会は若い人を迎える必要があります。……。若い人たちにFSFを引き継いでもらわなければなりません。54歳になるRichardはそうした問題も考える必要があります」

 Fortune Magazine最新号には、Microsoftとフリーソフトウェアとの対立をテーマとしてMoglenやBrad Smithらに対して行ったインタビューが掲載される。Moglenは、これついても軽く触れた。MoglenとSmithとの出会いは、2人がニューヨークの第2巡回区控訴裁判所判事の事務員を勤めていたときに遡る。法学の学位と歴史学博士号を授与される前はプログラマーだったMoglenは、その裁判所の事務室に初めてパソコンを持ち込んだ人物となった。DOSがあまり好きでなかったMoglenはDESQviewを使っていたのだが、別の判事の事務員をしていたBrad Smithにそれを見せると、Smithはその裁判所でパソコンを使う2番目の事務員になった。

 その後、2人はそれぞれの道を歩み、いつしか互いに反対の極に立っていた――SmithはMicrosoft側に、MoglenはStallmanとFSF側に。しかし、2人の旧交がこの対立関係に対話をもたらすことはなかった。MoglenやFSFと対話すればMicrosoftが適当と考える以上の信頼性をFSFに与えることになるとMicrosoftが考えたためだろう。Moglenはそう考えている。実際には、MoglenはIT業界のほとんどの企業の法務担当者と頻繁に会話していたのだが。

 リリース間近いGPLバージョン3の条文を前に、今、Moglenは、2人は「以前より対等な立場」に置かれているのかもしれないと言う。実際、MoglenとSmithは、特許問題とそれについてFSFが行使する予定のことを議論するために面会している。

 Moglenは、次のように語った。

MicrosoftとNovellが提携したその週に、春が来ればMicrosoftはSLESクーポンを飛行機からばらまくだろうと予言したら、誰が私の言うことを信じたでしょうか。しかし、Microsoftがそうしている理由はまったく明白ですし、MicrosoftがGPLv3の意味することに気づいた瞬間にそうすることに決めたということもまったく明白です。そして、なぜMicrosoftがGPLv3の意味することに気づいたかといえば、それは私が教えたからです。

この駆け引きは秘密裏に行われたのではありません。あの提携のすぐ後に、私がMicrosoftに出向いて話したのです。「かくかくしかじかのことが起こる。したがって、かくかくしかじかの理由から、この提携の特許に関する部分には維持する価値はないと考える。この提携のほかの部分は、Free Software Foundationにとっても、私のほかのクライアントにとっても、コミュニティー全体にとっても申し分のないものだ。そこで、我々としてはそう言うことに異存ないばかりでなく、この提携を歓迎することにも異存はない。しかし、提携の特許に関する部分はコミュニティーの平和を大きく損ない、あなた方が望んでいることをもたらすことはないだろう。なぜなら、あなた方が何かをしても、後からそれに適用される規則を変更できるのだから」と。

しかし、Microsoftは単純な戦略を選びました。しかし、残念ながら役には立たないでしょう。Microsoftはそれが役立つかのように今も続けていますが、GPLv3が発効したときには、クーポンを飛行機からばらまいたのはすべて時間の無駄だったことが明らかになるでしょう。

 法律分野に活動の場を移したMoglenは、後、事務員として最高裁判事Thurgood Marshallに仕えたことがある。そのとき、Marshallから世界を変えるための秘法を学んだという。

Thurgood Marshallの下で働き始めたとき、もしMarshallが神であることがわかったとしたらガッカリだったでしょうね。なぜなら、世界を変えるには神にならなければならないことになるからです。しかし、Marshallは神ではありませんでした。一人の人間であり、ズボンの片足に自分の両足を突っ込むこともある普通の法律家でした。強いところも弱いところも持っていました。ただ、Marshallは世界の変え方を知っていたのです。ですから、問題は「弱冠25歳の若造は知らないが、Marshallは知っていることは何か」ということになります。Marshallが知っていたのは、世界を変えるためにしなければならない2つのことでした。必要なのはたった2つだけ。それは、自分が実現したいことを知ることと、それを実現する方法を知ることです。

たったそれだけ。それが行うべきことのすべてです。自分が実現したいことを知り、それを実現する方法を知ること。Marshallはその2つを知っていました。もしあなたがこの2つを知ったら、それに人生を賭けるのを厭わないでしょう。それは学ぶべきことであり、私は、それを法科の学生に学んでほしいと思います。プログラマーにも、メディア帝国の周辺にいる若者たちにも学んでほしいと思います。私たちには世界を変えることができるのですから、もし自分が実現したいことを知りそれを実現する方法を知れば、それを実現することができるのです。

 Red Hatは、この1年に2度までもボディーブローを受けている。Oracleの攻撃、そしてMicrosoftとNovellの提携という妖怪だ。しかし、今回のサミットのどのイベントにも苦悩の陰はない。実際、サミットの売店には、Oracleの「Unbreakable Linux」ブランドを皮肉って「Unfakeable Linux」と印刷したTシャツが並んでいた。Matthew Szulikは、報道関係者を招いて2日目に行われた円卓会議で、Red Hatはこうしたイベントを市場――ここに収益が眠っている――の確認と見なしていると指摘した。

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